Yuhei Yasuda

歩行とか

歩行 Advent Calendar 2020」を作ったけど、25日中15日しか歩行できなかった。作った当初は本当に25日分全部埋める気でいたけど、実際のところ3日目でいきなり穴を開けてしまっているし、この60%という微妙な達成度が僕の緊張感のなさを絶妙に体現しているようで、なるべくしてなった気がした。


中学、高校と運動部に所属していて、中でも高校では部はそれなりに厳しかったこともあり、体力は結構あった。それだけに、部活を引退してしばらくしてから、あるとき全力疾走ができなくなっていると気づいた落胆はなかなかだった。動きが全然イメージに着いて来なくて、自分がすごくダウングレードしたような気持ちになった。

それからは自発的にトレーニングするようになった。単に運動不足解消というレベルでなく、できるだけ動ける体を維持するために、それなりに。長距離のランニングと短距離のダッシュ、ウェイトトレーニングをやっていたけど、すぐにランニングに主軸を置いて長い距離を速く走るための練習をするようになった。

最初はひたすら長い距離を走ったりしていたけど、いくつか本とかを読んだりしながら、怪我のリスクを減らすために走行距離を抑えながら負荷を高めるためのインターバル走を取り入れたり、有酸素運動による筋肉量の低下を抑えるために並行してウェイトトレーニングをしたりしていた。

しかしまあ皮肉なことに、ふくらはぎを鍛えるためのカーフレイズを行っていたら、ある日そこが肉離れになって動けなくなった。負荷を掛けすぎてしまったのもあるし、冬場だったせいでもあるんだろう。数ヶ月後に予定していたハーフマラソンへの出場も絶たれてしまった。当時の怪我はいまだに寒くなってくると痛むし再発しそうになる。

代わりにウェイトトレーニングに主軸を移した。実家は田舎だったこともあり近所にジムがなかったため、数年分貯め込んだお年玉を使って重量可変式のダンベルとフラットベンチを買って自分の部屋に置き、日々トレーニングに励んでいた。いつも家族からはうるさいと苦情を受けていたが、たしかに今の自分にそういう隣人がいたらブチ切れているし、今では申し訳なく思う。

それから専門学校に進学するために都会で下宿を始めた。いやこれは半分は嘘で、都会で下宿を始められるような学校を選んで、その理由は伏せたまま進学させてもらった。ただこれは入学してから知ったことだけど、その専門学校は近くにある大きなジムと提携していて、1年を通して利用できる契約を3千円という破格で行えることになっていた。相場を知らない人のために言うと、民間のジムだと月に1万円とかはベタなところである。一見大盤振る舞いな感じがするけど、多くの学生は安いからとりあえず契約しておくものの全然通わないので余裕で採算が取れるらしい。

本腰を入れてバーベルを使ったトレーニングを始めたのはそれからだ。理由はよく覚えてないけど、ダンベルよりも重い重量を扱えるしフォームがシンプル、マシントレーニングよりも可動域が広い分より多くの筋肉に刺激を与えられる、プリミティブでかっこいい、みたいな感じだったと思う。基本的に種目はBIG3しかしなかった。スクワット、ベンチプレス、デッドリフトの3つを総称して、トレーニングの王様という意味で一般にそう呼ばれる。当時の僕のバイブルはAthleteBody.jpで、トレーニング内容としてはひたすらBIG3ルーティーンを実践していた。そのジムに通っていた2年間で一番ピークだったときでは、デッドリフトはMAXが140kgだった。ほかはそれほど強くなかったのでよく覚えていない。

ちなみにジムに入場した日数が一定の基準を超えていると学校の単位になるので数がカウントされていたんだけど、在学している2年間は僕の利用日数の多さは学校全体でずっと2位だったらしい。1位の人は毎日風呂だけを利用していたという。

当時はほとんど狂信的に食事に力を入れていて、僕は痩せ型なのでとにかく増量するために異常な量の飯を食べていた。1日に米6合と鶏胸肉600g、プロテインパウダー、ミキサーにかけたほうれん草とか。消化がしんどかったので強力わかもとを飲んでいた。これを半年くらい続けることで体重が8kgくらい増えて人生でもっともデカい状態に到達して、トレーニングでMAXを記録したのもその辺りの時期だったけど、胃は完全に限界だった。もう一日中吐きそうになっていて、でも少しウエッとなると栄養が無駄になってしまうので、どうにかして意識を散らして誤魔化していた。しかしさすがにすぐ無理になった。

就職のために東京へ上京してきたころから、できるだけ食事は普通にするように心がけてきた。量が少なくておいしいものを積極的に選ぶようにしたり。けどしばらく胃の調子はだいぶ悪かったと思う。このままでは改善されないんじゃないかという気もしていたけど、時間が経って少しずつマシにはなってきた。ジム通いは再開したけど、食事は普通にするようにした。それでも今でも少し悪い。

初めてゴールドジムに入会して、設備の充実具合にただただ感動していた。ジムのトレーナーに施設を案内されているとき、設備を見て「すごいですね」と言ったら、「すごいでしょう」と言われた。そのジムはビルの中でいくつかの階に分かれていて、地下2階にフリーウェイトのためのフロアがあり、マジの肉塊しかいない空間なんだけど、その中で僕もバーベルを握り始めることになった。

ただ残念ながら専門学生時代のピークまで到達できたことがない。これは食事のこともあるものの、トレーニングにあの頃ほどの時間を注げなくなったことが大きい。専門学生時代には、月曜・水曜・金曜にはなにがあろうとも絶対にジムに行くと決め込んでいて、なによりもそれを優先していた。授業もせいぜい夕方には終わる。仕事はそうでなくなって、遅くまで残業もすることもあったし、そこからジムで追い込もうという気持ちになれるほど体力が残っていなかった。代わりに週末に通ったりするようになったけど、それでも頻度としてはガタ落ちで、結局トレーニング量の減少には逆らえなかった。

そうしてモチベーションの上がらない中、ある日ジムでデッドリフトをしているとき、普段と違う変な力の入り方のままバーベルを引いてしまい、腰に鋭い痛みが走った。その日はそこで切り上げて帰ってそのまま寝たけど、翌日になるとベッドから起き上がれなかった。そこから数週間くらいはずっと痛くて、違和感は何ヶ月も続いた。その間、能動的な運動はきっぱりやめてしまっていて、長らく復帰できそうにないなと思っていた。

それをきっかけに腰周辺のいろんな部分が痛むようになってきた。それまでは意識したことすらなかったんだけど、寝るときに肩を下にして寝ると翌日の腰の調子が悪くなってしまうようになった。調べてみるとこの姿勢は腰への負担がそれなりに大きいらしい。あと椅子に座っている間ずっと鈍い痛みが続いたりした。この時期はずっとこの辺の不調にイライラしながら生活していた記憶がある。

それから結構な頻度で整体に通うようになった。だいぶ回復して来たような気がしたので、試しにジムを再開してみようと軽く腰を動かしたら、「ヤバい、死ぬ」という感じになって、これには時間が掛かると悟った。それからも整体へは通っていたが、この辺りでコロナ禍に見舞われて通院をやめてしまった。ジムへもそれ以来行ってない。

家から出るなと言われて、「いやあ僕はまったくそんなこと余裕ですけどね」とか思っていたら、異常に体力が落ちて最寄り駅まで歩いただけで筋肉痛になるようになった。寝てもすぐ起きてしまうし、明らかに生活に支障が出ていた。一方で腰の調子は、あの日から2年近くが経過してだいぶマシになっていた。

そこで僕はこう考えて、ごく短い距離から、できる限り毎日歩くことを始めた。最初は駅まで行って帰ってくるだけだったけど、その向こう側まで余計に歩くようにしたり、それを2往復するようにしたりだとかで、1日に8km程度歩く毎日が続くようになった。その状態で1ヶ月くらいは筋肉痛になったり疲れ果てたりしてたけど、歩き始めてから今日までで3ヶ月くらいが経ってだいぶ余裕が出てきた。

日常の中で筋力的な向上を実感した瞬間として、僕は昔から5本指の靴下を好んで履いていて靴下は全部これなんだけど、履くのがスムーズにいかない。ちゃんと履けるまでちょっと時間が掛かるので、弱っていたころにはこれが本当にしんどかった。これを今では立ったまま、片足立ちの状態でできるところまで回復した。全盛期にはこの片足立ちのバランス感覚にかなり自信があったんだけど、これが少し戻ったみたいで嬉しい。

ついでに歩くだけでは無酸素運動が不足しているので、2日に一度腕立て伏せをするようになった。これも最初は全然できなかったけど、最近では普通にすると負荷が足りないのでプッシュアップバーを使って、それもかなりストリクトなフォームで行えるようになっている。これに関してもかなり筋力が戻ってきた。

こういうルーティンには1時間半くらい掛かってしまっているんだけど、リモートワークで通勤時間がなくなったおかげでなんとか相殺できている。もっとも、通勤してたら不要な運動だったかもしれないが。


ここまで書いてきて、なんでこれを書き始めたんだっけと思ったけど思い出せない。ブログは最近あんまり書けていない。これは偶然というより、実はEvery Layoutの翻訳が遅れている罪悪感から精神的なアレで書きづらくなっているという理由でして、まだ出せてないことについては本当にすみません。進めてはいます。という感じなんだけど、なぜか急に筆がノッてしまったので書いてしまった。ついでにEvery Layoutについて言えば、ちょうど最近やっている仕事でこの理論をかなりうまく活用できていて、もしかしたら「実践的レイアウトプリミティブ」のその先の発展形の話をどこかの機会で出せるかもしれない。そんな気がする。